📗【小説】Luoto meressä:Myrskyluoto シリーズを読む Ⅱ ~離島での生活~
2016年10月24日
2024/03/26
Myrskyluoto シリーズ2作目です。
読んでいるのはこの本。↓
この、シリーズ2冊目の原作『Med havet som granne』がスウェーデン語で出版されたのは1969年。そのフィンランド語訳の『Luoto meressä』が最初に出版されたのは1975年です。
第2作目は、主人公 Maija(マイヤ)と、彼女の夫である Janne(ヤンネ)の新生活から始まります。Myrskyluoto という島での、一からの生活です。
その後8年間で、家族も増え生活も軌道に乗り……
それなのにある年、Myrskyluoto を一時去らなければいけないことになります。
描かれているのは、おそらく 1842年から1855年。というのも、この第2作目に描かれている最後の年に、イギリス軍がオーランド諸島に来ているから。本には具体的には書かれていないけれど、あきらかにクリミア戦争の時の話ですね。小説中の状況と歴史を照らし合わせると、この第2作目で描かれている最後の年は1855年ということになるのです。
Luoto meressä(Myrskyluoto より)
著者:Anni Blomqvist
訳:Björn-Christer Lindgren & Liisa Ryömä
出版:Gummerus 2010年
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読んでいるのはこの本。↓
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Myrskyluoto 著者:Anni Blomqvist 訳者:Björn-Christer Lindgren & Liisa Ryömä 出版:Gummerus 2010年 (参考: Myrskyluoto | Gummerus Kustannus ) |
この、シリーズ2冊目の原作『Med havet som granne』がスウェーデン語で出版されたのは1969年。そのフィンランド語訳の『Luoto meressä』が最初に出版されたのは1975年です。
第2作目は、主人公 Maija(マイヤ)と、彼女の夫である Janne(ヤンネ)の新生活から始まります。Myrskyluoto という島での、一からの生活です。
その後8年間で、家族も増え生活も軌道に乗り……
それなのにある年、Myrskyluoto を一時去らなければいけないことになります。
描かれているのは、おそらく 1842年から1855年。というのも、この第2作目に描かれている最後の年に、イギリス軍がオーランド諸島に来ているから。本には具体的には書かれていないけれど、あきらかにクリミア戦争の時の話ですね。小説中の状況と歴史を照らし合わせると、この第2作目で描かれている最後の年は1855年ということになるのです。
離島での生活は楽ではなさそう
Myrskyluoto はどうも離島のようです。島には他に家もない。島を出られない時には、すべてを自分たちでどうにかするしかありません。
例えば出産。Maija は8年間で4回出産しています。そのうち3回は、夫の Janne が出産を手伝っているのです。
あくまで小説じゃない?といわれれば確かにそうなんですが、他に誰もいなければ、それはそれで自然な成り行きでしょう。
そもそも、「男の仕事」とか「女の仕事」という区分は、それなりの集団・社会がないと成り立たないものなのでしょう。それから、慣習もそう。
例えばMaija の出産後の話。
出産後の女性は穢れていると考えられていました。ですから、出産後は教会に行って清めてもらわなければいけなかったのです。でも、Maija は、離島に住んでいるために、なかなか教会に行くことができません。
当時の慣習だと、穢れたままの女性が食事を作ってそれを夫に食べさせるなんて、もってのほかだったらしい。Maija はそのことをとても気にしています。他の人にも咎められます。
でも、夫婦だけで日々の生活や仕事をこなしていかなければならないとしたら、現実にはそんなこと言ってはいられないでしょう。
いずれにしても、離島での生活は決して楽なものではなさそうです。恥ずかしがり屋で引っ込み思案だった Maija も、そんな中で少しずつ強くなっていきます。
例えば出産。Maija は8年間で4回出産しています。そのうち3回は、夫の Janne が出産を手伝っているのです。
あくまで小説じゃない?といわれれば確かにそうなんですが、他に誰もいなければ、それはそれで自然な成り行きでしょう。
そもそも、「男の仕事」とか「女の仕事」という区分は、それなりの集団・社会がないと成り立たないものなのでしょう。それから、慣習もそう。
例えばMaija の出産後の話。
出産後の女性は穢れていると考えられていました。ですから、出産後は教会に行って清めてもらわなければいけなかったのです。でも、Maija は、離島に住んでいるために、なかなか教会に行くことができません。
でも、夫婦だけで日々の生活や仕事をこなしていかなければならないとしたら、現実にはそんなこと言ってはいられないでしょう。
いずれにしても、離島での生活は決して楽なものではなさそうです。恥ずかしがり屋で引っ込み思案だった Maija も、そんな中で少しずつ強くなっていきます。
テレビドラマ
Myrskyluoto シリーズは、1976年にテレビドラマ化(全6話)されています。現在、フィンランド公共放送Yleがそれら全作品をオンデマンドのサイトで公開中。国外視聴可能です。
このシリーズ二作目『Luoto meressä』 の内容に該当するのは、ドラマの第2話、そして第3話の初めかな。
"Luoto meressä" の意味
書名の意味を確かめてみます。
"Luoto"
以前の記事(音楽とテレビドラマとその原作)でも書いた通り、ほとんど木も生えないような小島のことです。
"meressä"
meri の単数内格。meri は海のことです。
内格は、あるものが内部にあることを表します。すなわち~の中にというような意味になります。
ですから、meressä は海の中にという意味。
"Luoto meresä"
これは、海の中の島ということになるでしょうか。
こうして日本語にすると、なんだか不自然な感じもします。とにかく海に囲まれているということを強調しているのでしょうか? イメージとしては、離島あるいは孤島?
スウェーデン語での書名は『Med havet som granne』。フィンランド語訳でも表したいことは同じなのだろうけれど、直訳というわけではなさそうです。
島を表す4つの単語
本題とはそれますが、最後に島を意味する単語についてまとめておきます。
島を意味する単語として一般に使われるのは saari。でも、ここでは luoto が使われています。調べてみると、島をあらわす単語は他にもあります。そこで、それらの単語の違いを確かめてみました。
saari
水に囲まれた陸地のこと。日本語の「島」に一番近い意味の単語でしょう。
salo
森林に覆われた大きな島のこと。ただし、これは古びれた使い方のようです。でも、島の名前の一部としては、今でも使われています。Hirvensalo とか Ruissalo とか。
(人の住んでいない)広大な森林地帯のことも salo といいます。salo という言葉は、今では主にこの意味で使われているようです。
luoto
ほとんど木も生えていないような小島です。ただ、どのぐらいの大きさまでが luoto なのかという決まりはなさそうです。また、luoto だからといって、木がほとんどないというわけでもないのでしょう。小説の舞台になっている Myrskyluoto には、広い森林こそはなさそうですが、木々はそれなりに生えているようですから。
kari
luoto の中でもより小さい島が kari です。kari は、暗礁の意味もあります。水の上に頭が出ていても出ていなくとも、kari なのですね。
これは Rajakari という名の島。-kari という言葉がついているだけあって、小さな島です。
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File:Rajakari.jpg - Wikimedia Commons |
一つの単語で、島であることと同時にその島の大きさや状態を表せるというのが面白い。日本語で同じような単語を考えてみたのだけれど、思いつきませんでした。
フィンランドには島がとても多いです。島を表す言葉が複数あるのは、島がそれだけ身近であったということなのかもしれません。
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