フィンランド語で書かれた本…という超マイナーなテーマでブログを書こうなんて、何考えてんの? と自分でも思うのですよ。そもそもブログを書くこと自体、無駄に時間を消費するだけともいえなくもない。

そんなこと考えだしたら虚しくなります。だから、ここで自分を納得させるために書いておきます。

私がブログを書く最大の理由は、母語を忘れないため

私の母語は日本語です。でも、今の日常語はフィンランド語。

夫は日本語ができませんし、うちには子供もいないので、家庭で日本語を使うということはまずありません。なんと、犬に話しかける時でさえ、完全にフィンランド語! 自分でも笑えます。

日本人と会えば、もちろん日本語を使います。でも、そんなに度々日本人には会いません。

フィンランド語で不自由なく会話できるし、日本語もまだちゃんと話せる(と思う)ので、バイリンガルと言えばバイリンガル。そういえば聞こえはいいですけど…

母語でも流暢に話せなくなる

まだ、日本に住んでいたころの話です。

たまたま、中国残留婦人に関するドキュメンタリー番組を目にしました。そして、そのときのインタビューの様子が、強く心に残ったのです。

番組に登場していたのは、日本人として生まれ育った方。母語は日本語のはずなのですが…

一言一言一生懸命思い出しながら話す彼女の日本語は、流暢とはまったく程遠いものだったのです。

とても驚きました。子供のころに親と離れて国外に残ったのなら分かります。でも、大人になるまでずっと日本語を使っていても、そこまで話せなくなるものだとは、考えたこともありませんでした。ショックでした。

当時、将来国外で暮らすことになるなんて、まだ夢にも思っていませんでした。それでもこのことがやたら心に残ったということは、どこか心の奥深くで、自分の将来を予知していたのかも?

母語でも使わなければ忘れていくが、第二言語をいくら使いこんでも母語にはならない

フィンランドで何年か生活し、フィンランド語での日常もさして不便ではなくなった頃、とある地域紙で、国外で生活しているフィンランド人の話を読みました。

彼女はフィンランドで生まれ育ちました。そして、成人してからイギリスに移り住んだといいます。「母語でも使わなければ忘れていく。だからといって、第二言語をいくら使いこんでも母語にはならない。それが悲しい」という彼女の話に、強く共感しました。

そうなんです。母語であっても使わないと忘れます。単語がすぐ出てこなかったり度忘れしたりってことが増えてくるんです。文法もちょっと変になるかも? 一方で、毎日フィンランド語を使って、その言語だけで全く不自由なく生活できるようになったとしても、フィンランド語はいつまでたっても母語にはなり得ない。

子供の頃に覚えたのならまだしも、フィンランド語は、30歳近くなってから覚えた言語です。どうがんばっても、母語になんてなり得ません。ぼけたら完全に話せなくなりますよ、きっと。

2つの言語のはざまで

日本語が流暢に使えなくなるのが怖い。一方で、フィンランド語の語彙が増えない、フィンランド語での表現力が余りにも乏しい…それもまたどうにかしたいのです。

日本語はどんどん忘れていく、でも、フィンランド語力はいつまでたってもろくに向上しない。…どっちの言葉も中途半端なのが情けない。

だからブログを書く

使わないと忘れる。だったら、ブログを書けば無理やりにでも使うことになって、日本語力も維持できるんじゃないかと思うわけです。実際、ごくごくたま~に日本人と話すことを除けば、ブログは今のところ日本語を使うほぼ唯一の場。ブログを書くことは、日本語をひねり出すのに少しは役立っていると感じています。

さらにこのブログは、フィンランド語で書かれた本を読んで、それを記事にしようという趣旨。フィンランド語の本をちゃんと読むようになれば、フィンランド語力も少しはましになるんじゃないか…そんな期待もあります。


それにしても、ブログを書くのにやたら時間がかかる今日この頃。書き続ければ、もう少し流暢に日本語の文が出てくるようになるかな…

フィンランド語の本を読むのにも、やたら時間がかかります。読み続ければ、もう少しスピードあがるかな…