✏️【フィンランド語の格の不思議】分格?主格?主語?目的語?〜雪が降るとき〜
きっかけは、musta kahvi さんのブログ 気分はもうSuomi でした。
この記事 → 初雪は入格に降る – 気分はもうSuomi に、「初雪が降る」ことを表している文例が集められています。そしてそれらを見てみると、初雪は主格が降る – 気分はもうSuomi で musta kahvi さんも書かれている通り、ただの雪の時と初雪の時では、使われる格が違うということがわかるのですよ。
単純な文で比較するとこういうことです。
単純な文で比較するとこういうことです。
Sataa lunta.(雪が降る)
Sataa ensilumi.(初雪が降る)
lunta は、雪を意味する名詞 lumi の単数分格です。一方で、初雪を意味する ensilumi は単数主格で使われています。
musta kahvi さんの記事を読んで、私もこのことが気になってしまったのです。そこで確かめてみたのですが……
部分なのか全体なのか
雪を不定量の物質としてみるか、全体としてまとまったものとしてとらえるか、それらの違いが、表現の違いとして表れているようです。
普通に「雪が降る」というときの「雪」は、ひとまとまりのものではなく、不特定な物質。一方で「初雪が降る」というときは、「初雪」というものが一つのまとまったものとして捉えられている。それで一般に、「初雪」の時には主格が使われるのですね。
そういわれれば、使い分けもなんとなく納得できます。また、「初雪」で分格が使われることがあっても、それは書き手のその文中での「初雪」のとらえ方の違いなのだと考えれば、矛盾もありません。
でも、これで一件落着とはなりませんでした。フィン・フィン辞典 Kielitoimiston sanakirja を見てしまったからです。
という例文があるのです。分格ではなく対格というのは、「初雪」を全体としてとらえているからだろうと納得 できます。でも、なんで主格じゃなくて対格?対格ということは ensilumen は動詞の目的語?
一方で、世間には次の言い方もあるわけです。
そういわれれば、使い分けもなんとなく納得できます。また、「初雪」で分格が使われることがあっても、それは書き手のその文中での「初雪」のとらえ方の違いなのだと考えれば、矛盾もありません。
でも、これで一件落着とはなりませんでした。フィン・フィン辞典 Kielitoimiston sanakirja を見てしまったからです。
文の構造
Satoi ensilumen.(初雪が降った)
という例文があるのです。分格ではなく対格というのは、「初雪」を全体としてとらえているからだろうと納得 できます。でも、なんで主格じゃなくて対格?対格ということは ensilumen は動詞の目的語?
一方で、世間には次の言い方もあるわけです。
Satoi ensilumi.(雪が降った)
この文では ensilumi は主語。日本語でも「雪が降る」と言いますから、上から落ちてくるものが主語というのは、日本人には感覚的にも受け入れやすいですよね。
同じような意味の文でありながら、一方では降ってくるものが主語、もう一方では目的語……え~っ!?なんで???と思いませんか?
ちなみに、分格が使われていると、文型だけでは主語なのか目的語なのか判断できません。
Satoi lunta.(雪が降った)
私としては、主語と考えたほうが分かりやすいのだけれど、誰もがそうとらえるとは限らないようです。
それぞれの文には主語も目的語もないけれど、これだけで文として成り立っています。
でも、場合によっては何かを付け足したい。特に sataa の場合なんかだと、何が降ってくるかを言いたかったりするわけです。
sataa 自体は、主語も目的語も必要ない動詞。だから、どういう言葉を主語とするか、どういう言葉を目的語とするか、という決まりがそもそも無いようなんですよ。それで、書き手がものごとをどうとらえるかによって、バリエーションがいろいろ出てくるらしいです。
lumiukon は lumiukko(雪だるま)の単数対格形で、tein の目的語。この文では、「作る」という行為の結果「雪だるま」ができたと解釈できます。つまり、目的語は行為の結果を表しているわけです。
その考え方を下の文に当てはめてみると
「降った」ということによってできた結果が ensilumi なんだと受け取ることができます。ensilumi を主格として使うときとは、そういうところのニュアンスが微妙に違うのでしょう。
そういえば日本語でも「初雪が降った」とも言うし「初雪になった」とも言いますね。そのへんのニュアンスの違いと共通点があるのかも。
主語も目的語も必要ない
フィンランド語には、主語をとらない文型がいくつかあります。天気を表す文型もその一つ。
Eilen satoi.(昨日(雨が)降った)
Tuulee.(風が吹く)
Salamoi.(稲妻が走る)
それぞれの文には主語も目的語もないけれど、これだけで文として成り立っています。
でも、場合によっては何かを付け足したい。特に sataa の場合なんかだと、何が降ってくるかを言いたかったりするわけです。
sataa 自体は、主語も目的語も必要ない動詞。だから、どういう言葉を主語とするか、どういう言葉を目的語とするか、という決まりがそもそも無いようなんですよ。それで、書き手がものごとをどうとらえるかによって、バリエーションがいろいろ出てくるらしいです。
主語か目的語か
ensilumi が目的語になっている使い方は、私にはとても違和感がありました。でも、他動詞文の目的語の意味と照らし合わせてみて、目的語である所以がなんとなく分かった気がします。Tein lumiukon.((私は)雪だるまを作った)
lumiukon は lumiukko(雪だるま)の単数対格形で、tein の目的語。この文では、「作る」という行為の結果「雪だるま」ができたと解釈できます。つまり、目的語は行為の結果を表しているわけです。
その考え方を下の文に当てはめてみると
Satoi ensilumen.
「降った」ということによってできた結果が ensilumi なんだと受け取ることができます。ensilumi を主格として使うときとは、そういうところのニュアンスが微妙に違うのでしょう。
そういえば日本語でも「初雪が降った」とも言うし「初雪になった」とも言いますね。そのへんのニュアンスの違いと共通点があるのかも。
さいごに
sataa を使った文の書き方には、唯一の正解はないようです。文法も考えだすときりがなさそう。
musta kahvi さんが書かれていたとおり、一般には、「雪」が降るときには分格、「初雪」の時には主格を使います。それを覚えておけば十分でしょう。
もっと深~いところまで掘り下げたいときに参考になりそうな、Sääverbien syntaksia ja semantiikkaa:semanttiset roolit, osallistujien vaihtelevakäsitteistäminen ja sääverbien vaihtelevavalenssi という論文も見つけたけれど、悲しいかな、私には難しすぎましたわ。
もっと深~いところまで掘り下げたいときに参考になりそうな、Sääverbien syntaksia ja semantiikkaa:semanttiset roolit, osallistujien vaihtelevakäsitteistäminen ja sääverbien vaihtelevavalenssi という論文も見つけたけれど、悲しいかな、私には難しすぎましたわ。
こんにちは、きっかけをつくった本人(musta kahvi)です。
返信削除フィンランドに住み、フィンランド語を話し、フィンランド語の文学作品を読みこなす くうっけりさんだからこそ、このような深い考察ができるのですね。
書き手がものごとをどうとらえるかによってensilumi、ensilunta、ensilumenを使い分けている、前後関係を含めて文章として書き手が伝えたいのは何か…ひとことで言ってしまえば「文脈」なのでしょうけれど、私の語学力(日本語を含んで)ではここまでテキストを読みこなすことは無理です。
私が集めた例文は、sataa ensilumi(ensilunta)が含まれているひとつの文だけをとりあげました。文法学習としてはそれで良いのかもしれませんが、まとまった「文章」からひとつの文だけを切り離すなんて、書き手の思いを無視してしまうことになり、ずいぶん乱暴なことをしたのだなと思っています。
でも、初雪の記事の紹介からここまでの一連のやりとり、ブログをやってから初めての経験でした。私のちょっとした疑問からここまで発展するとは…正直驚いています。とてもおもしろく、また勉強になりました。ありがとうございました。そして、あらためて「ことばで表現することの難しさ」を感じています。
いや、実は私、文法とかあまり得意じゃないんです。
削除フィンランド語を読むのに慣れている分だけ、フィンランド語に関する情報を得やすいというだけなんですよ。
一つの文を切り離すのも、それはそれでいいんじゃないでしょうか。そもそも、切り離してあったおかげで、分格と主格の使い方の違いに気づいたわけですから。
ところで、ensilumi に関していえば、私の周りには主格以外では違和感があるという人がほとんど。状況に応じて誰もが意識的に格を使い分けるわけではないのかも。
昔から国語や英語は好きではなくて、フィンランド語の文法も得意じゃないけれど、いろいろ調べてみるのは面白いものですね。私も今回、ここまでの話になるとは思っていませんでした。勉強になりました。いいきっかけをありがとうございました。