Ihmisiä näyteikkunan edessä, ikkunassa Tyynenmeren sota -aiheisia valokuvia ja kartta, otsikolla "Voitto Japanissa 1945".
(ショーウィンドウの前に立つ人々。ウィンドウに展示されているのは、太平洋戦争関連の写真と地図。展示の表題は「日本での勝利 1945年」)
撮影:Kannisto Väinö  1945年秋 ヘルシンキ
画像元: | Helsingin kaupunginmuseo | Finna.fi 
ライセンス: CC BY 4.0 


一昨日は終戦記念日でしたね。で、思い出したのが今年5月に目にした記事。フィンランドの週刊誌 Suomen kuvalehti( Suomenkuvalehti.fi )のものです。

雑誌の購読者じゃないと全文は読めないのだけれど、見出しだけでもご覧くださいな。


訳すと「日本の歴史解釈は、国民の精神には貢献するが真実には貢献しない」って感じ?(Americana は単なる連載名)

これを書いたのは、Marko Maunula氏。アメリカで大学教授を務めている歴史研究家です。以前から日本の文化に興味があったという彼の、日本を旅行したあとの記文。

彼は、日本の清潔さとか礼儀のよさとか美しさとかインフラストラクチャーとか食事とか観光地などについてはすばらしい!と感じたようです。が、日本の歴史観についてはそうではないみたい。ということで、この記文のテーマはその日本の歴史観のこと。

遊就館に行ったというMaunula氏によれば、そこにある英文の解説はよく言葉を選んで書かれている。だから、そこに書かれていることを真っ向から嘘だとは言えない。でも、中には疑わしい内容のものもある。…とのこと。

太平洋戦争の開戦の理由は、アメリカが日本への輸出を禁止したこと。日本はアメリカの石油や鉄を手に入れることができなくなり、致し方なく戦争に踏み切った。…とか

南京虐殺については、民間人になりすましていた中国の兵士たちを厳しく処罰した、という内容の、短い解説があるのみ。…とか

日本兵は勇敢な英雄だとされている。唯一の戦争の苦しみ・悲惨さについての言及は、日本人の犠牲者についてだけ。…とか

で、Maunula氏は、自国に自信のある国家は、きちんと自己批判もすることができるっていいます。そして、日本人たちは自国に自信がなく不安があるために、自分たちの行動を正当化する必要性を常に感じているということなのか?と問いかけます。

こうしてみると、最初に挙げた見出しもこう意訳できるでしょうか。「日本の歴史解釈は自信のない日本人たちが自らを肯定するためには貢献するが、真実と向き合うことには貢献しない」。
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きちんと歴史をとらえていないと、こういう見方をされることもあるのですね。

ただ、ひとつ気になったのは、Maunula氏が靖国神社の位置づけを知っていたのかどうかということ。

遊就館の歴史観は必ずしも一般の日本の歴史観ではないことも考えられます。特に靖国神社の位置づけを知っていれば、その辺は心して展示を見ると思うのですよ。まあ、だからといって、外国人も訪れるような博物館でありながら、歴史の専門家に疑問を持たれるようなゆがんだ、あるいは曖昧模糊とした解説はどうかと思いますが。


歴史捏造なんていうのも耳にするこの頃。それもおそらく、自信がなくて自国が肯定できないからこその捏造? そして、そう思われることもあるって分かっていてもきちんと歴史と向き合えることができないのだとしたら、すごく情けない…。