📖【歴史】Finalaska:合衆国のフィンランド難民受け入れ計画
昨年末『オペレーションアラスカ』という番組が、フィンランド国営放送Yleで放映されました(関連記事 📺オペレーション・アラスカ~架空の歴史に基づいたドキュメンタリー番組~)。
この番組は、歴史家 Henry Oinas-Kukkonen の研究をもとに制作されたという話。実際の計画はいったいどこまで進んでいたのか、というのが気になって、図書館で彼の著書を探した結果見つかったのが、この本『Finalaska -Unelma suomalaisesta osavaltiosta-』でした。
1940年~1944年…フィンランドが、冬戦争、そしてその後継続戦争でソ連軍を相手に戦っていたときの話です。
合衆国では、フィンランド人たちを助けようと働きかける人たちもいて、そんな中で出てきた提案の一つが、フィンランド難民たちを合衆国に移住させようということ。
とはいうものの、大きな一つの移住計画がすすめられたというわけではなく、いくつかの提案が政治家や国民からなされていたらしいです。
当時、アラスカはまだ「州」ではなく「準州」という位置づけでした。人口密度が極端に少なく、土地の有効利用もほとんど進まない。人口が少ないということは、産業だけでなく、防衛的にも問題(ソ連と日本がアラスカに近いだけに脅威)があるわけで、アラスカへの移住者を増やし、アラスカを発展させなければいけないとの考えは、難民問題とは全く別にありました。
フィンランド人難民をアラスカに迎え入れたらいいんじゃないか、というアイデアは、そんなアラスカの発展を考えてのことでもあったようです。フィンランドはアラスカとほぼ同じ緯度の国なので、そこで農業を営むフィンランド人たちは格好の開拓者になるだろうし、林業・パルプ業が盛んなフィンランドの人材は、その領域でも活躍するだろう…などと、アイデアの発起人たちは期待していたわけです。
とはいうものの、アラスカの人たちは、フィンランド人に限らず、多くの移民を受け入れることには反対。
結局、具体的にはことが進まないまま時が過ぎます。
1944年になると、合衆国では、フィンランドがソ連に占領され、フィンランド人たちは大量虐殺されるのではないか、と恐れます。そこで、フィンランド国民を全部アラスカに避難させることが検討され始めるのです。
そんな中で、フィンランドとソ連の講和交渉が始まります。講和交渉に悪影響を与えてはいけないと、フィンランド人移住計画は極秘のまま進展はさせず、講和交渉の結果を見ることに。結局は、ソ連の侵略もフィンランド人虐殺も起こることはなく、フィンランド人移住計画も忘れ去られました。
ちなみに、これらの計画は、すべて合衆国側のもの。フィンランドには、国外に難民を送り出すという考えは全くなかったようです。
フィンランド人難民たちをアラスカに移住させる計画があったということは、すっかり忘れ去られていました。
この本の著者は、まったく別の研究のために、合衆国のフーヴァ―研究所の文書に触れる機会があったそうなのです。そのときにたまたま目についたのが、フィンランドに関わる文書…
そこから始まった研究だということです。何しろ忘れ去られていたことだし、今までこのことに関してまとめられたものはなかったわけです。書簡やら新聞記事やら議事録やら…さまざまな資料をもとに研究されたらしい。そして、当時の合衆国のフィンランド人たちに関する世論や移民計画について、素人が読んでも分かるような1冊の本を書く…歴史研究者ってすごい!!
ちなみに、Google先生の英訳は "dream of the Finnish state" 。日本語訳はいまいちなので無視。
《参考ウェブページ》
Finalaska : unelma suomalaisesta osavaltiosta, Henry Oinas-Kukkonen, Kustannusosakeyhtiö Vastapaino | Kustannusosakeyhtiö Vastapaino
Henry Oinas-Kukkonen – Wikipedia
この番組は、歴史家 Henry Oinas-Kukkonen の研究をもとに制作されたという話。実際の計画はいったいどこまで進んでいたのか、というのが気になって、図書館で彼の著書を探した結果見つかったのが、この本『Finalaska -Unelma suomalaisesta osavaltiosta-』でした。
Finalaska -Unelma suomalaisesta osavaltiosta-
Finalaska Unelma suomalaisesta osavaltiosta 著者:Henry Oinas-Kukkonen 出版:Vastapaino, 2017年 |
1940年~1944年…フィンランドが、冬戦争、そしてその後継続戦争でソ連軍を相手に戦っていたときの話です。
合衆国では、フィンランド人たちを助けようと働きかける人たちもいて、そんな中で出てきた提案の一つが、フィンランド難民たちを合衆国に移住させようということ。
とはいうものの、大きな一つの移住計画がすすめられたというわけではなく、いくつかの提案が政治家や国民からなされていたらしいです。
当時、アラスカはまだ「州」ではなく「準州」という位置づけでした。人口密度が極端に少なく、土地の有効利用もほとんど進まない。人口が少ないということは、産業だけでなく、防衛的にも問題(ソ連と日本がアラスカに近いだけに脅威)があるわけで、アラスカへの移住者を増やし、アラスカを発展させなければいけないとの考えは、難民問題とは全く別にありました。
フィンランド人難民をアラスカに迎え入れたらいいんじゃないか、というアイデアは、そんなアラスカの発展を考えてのことでもあったようです。フィンランドはアラスカとほぼ同じ緯度の国なので、そこで農業を営むフィンランド人たちは格好の開拓者になるだろうし、林業・パルプ業が盛んなフィンランドの人材は、その領域でも活躍するだろう…などと、アイデアの発起人たちは期待していたわけです。
とはいうものの、アラスカの人たちは、フィンランド人に限らず、多くの移民を受け入れることには反対。
結局、具体的にはことが進まないまま時が過ぎます。
1944年になると、合衆国では、フィンランドがソ連に占領され、フィンランド人たちは大量虐殺されるのではないか、と恐れます。そこで、フィンランド国民を全部アラスカに避難させることが検討され始めるのです。
そんな中で、フィンランドとソ連の講和交渉が始まります。講和交渉に悪影響を与えてはいけないと、フィンランド人移住計画は極秘のまま進展はさせず、講和交渉の結果を見ることに。結局は、ソ連の侵略もフィンランド人虐殺も起こることはなく、フィンランド人移住計画も忘れ去られました。
ちなみに、これらの計画は、すべて合衆国側のもの。フィンランドには、国外に難民を送り出すという考えは全くなかったようです。
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フィンランド人難民たちをアラスカに移住させる計画があったということは、すっかり忘れ去られていました。
この本の著者は、まったく別の研究のために、合衆国のフーヴァ―研究所の文書に触れる機会があったそうなのです。そのときにたまたま目についたのが、フィンランドに関わる文書…
そこから始まった研究だということです。何しろ忘れ去られていたことだし、今までこのことに関してまとめられたものはなかったわけです。書簡やら新聞記事やら議事録やら…さまざまな資料をもとに研究されたらしい。そして、当時の合衆国のフィンランド人たちに関する世論や移民計画について、素人が読んでも分かるような1冊の本を書く…歴史研究者ってすごい!!
"Finalaska -Unelma suomalaisesta osavaltiosta-"の意味
それぞれの単語の意味です。- Finalaska:フィンアラスカ
- unelma:夢(「夢や希望」というときの夢のこと。寝ているときに見る夢は uni)
- suomalaisesta:suomalainen フィンランド人(の) の単数出格
- osavaltiosta:osavaltio 州 の単数出格(osa 部分 + valtio 国家)
ちなみに、Google先生の英訳は "dream of the Finnish state" 。日本語訳はいまいちなので無視。
著者について
著者の Henry Oinas-Kukkonen はオウル大学の歴史の講師です。《参考ウェブページ》
Finalaska : unelma suomalaisesta osavaltiosta, Henry Oinas-Kukkonen, Kustannusosakeyhtiö Vastapaino | Kustannusosakeyhtiö Vastapaino
Henry Oinas-Kukkonen – Wikipedia
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